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不自然な自然

緊急展示 ミニギャラリー
「不自然な自然」 桑迫伽奈(札幌在住)
 Hokkaido Photo Festa 2019 グランプリ受賞 
この度ご縁があり二枚展示させていただきます
Hokkaido Photo Festa に興味のある方またステイトメントに
関心のある方は是非ご覧になると参考になると思います
桑迫伽奈さんは今年度清里フォトミュージアムにて作品の収蔵にもなり 今後目の離せない作家です。
HP http://kanakuwasako.com/my-work/不自然な自然/

展示期間は未定です
「チャタレーライフ」千葉学さんの準備が整いまうまでとなります ご了承ください。

 

不自然な自然

“ありのまま”を写したものこそが写真だと言われることがある。
もしくは、“何を写したのかを相手にも分かるように伝える必要がある”とも。
何を写真と定義づけるかは人それぞれだが、カメラのファインダーを覗いて
シャッターを押し、そこで写った像は写真以外の何者でもない。
そもそも“ありのまま”という不確かな概念を他者から
押し付けられなければいけない覚えはない。

記憶の中の景色はとても不確かだ。景色を見ているそばから忘れていく。
撮影者も鑑賞者も等しく、目の前に広がる景色のうち数パーセントしか
記憶に残っていない状態を前提として写真や絵画で風景を提示された時、
その景色をありのまま(自然)と感じるかもしれないし、
そうではない(不自然)と感じるかもしれない。
ただ、作品として可視化された時には観客は元の景色を知らないし、全く同じ景色・
現象は二度と現れないのだから、誰を相手にしても証明のしようがない。

それぞれの脳内で記憶を元に想像の増幅を繰り返し、
そこで純度の高い記憶の中の景色がいつの間にか出来上がっている。

このシリーズの被写体は世間一般では“自然”と呼ばれるものである。
山や森の中で光が差し込み、空が抜けて見える場所から真上を見上げて多重露光で
シャッターを切っている。
つまり木々の枝葉越しに見える空と光が被写体なのだ。
風や雲、日の傾きで刻々と状況が変わり、その変化しづつける景色を重ねている為、
二度と同じ写真にはならない。
肉眼で見た景色とは全く違うが、確かにその日その時に存在していた景色・
現象であることには違いない。

そして、従来私たちが”自然”と解釈しているものの多くは、
実は人工的に造り出したものかもしれない。
自然(ネイチャー)だと思われている森も、人が手をかけて整備して人工的に
作り出されたものであり、自然(ナチュラル)ではないということになる。
カメラというテクノロジーに頼った不自然な写真である。
そう考えると見たままの景色(自然)も、感じたままの景色(自然)も、
自然ともいえるし不自然ともいえる。

このシリーズを進めながら“自然”という言葉に考えを巡らせた結果、
個人の意思で動かすことの
できないものを自然と呼ぶのではないかと考えた。
そうすると時間は自然と呼べるのかもしれない。
時間は全ての人や物に等しく与えられているものである。

シャッターが下りるまでの数十分の一の僅かな時間を切り取ったこのシリーズは、
一見不自然だと見られるかもしれないが、
自然(ネイチャー)を被写体にした自然(ナチュラル)な写真なのである。
桑 迫 伽 奈
http://kanakuwasako.com/